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見て・聞いて・語ろう・・・「物の見方、考え方」

“何事も経験から”

人には誰しも、長所もあれば短所もあるのが人間同士です。
人は何かの切っ掛けで、相手の短所ばっかりに気付くと、長所が見えなくなることがあります。
本当は温厚な性格なのに「優柔不断」と感じたり、積極的な行為も「でしゃばり」的な、“いやな人間”だと、全てを否定しがちなものです。

これでは集団生活がうまく行く筈がありません。
自分の遣り方や考え方を批判され、とやかく言われると「俺のこと、分ってるのか」と、反抗したくもなるものです。これなどは他人ばかりでなく、親や姉妹・夫婦間でもよくあります。
人は皆、夫々の生い立ちの違いや、体験も異なります。ですから物の見方・考え方が違うのが当たり前と思うものです。
しかし、心静かに省みたとき、他人からの批判や意見は案外当っている点や得るところが、必ずあるものです。

それをえてして“どうせ俺のことなど分かりっこないのだから”と、相手の話しを聞く耳を持たないと言うか、反抗したり拒否して仕舞っては折角の人の知恵を授かる機会を逸します。
大事なのは、例え意に添わなくても、先ず素直に耳を傾けてみることです。
聞き入れる心からは、新たな気付きが芽生え、自らの成長の糧が必ず見出せるものです。

日々この積み重ねを繰り返して、何事も経験だと思い定めるところに、和やかな人の輪が広がるものと確信します。

何でも見て・聞いて・語ろう・・・「松尾芭蕉は公儀隠密?」

“生まれは伊賀の里!”

 一頃、芭蕉は忍者であったとする説が流行ったことがあるそうです。
芭蕉一行が「奥の細道」の旅程で、一日に50km余りも歩いていることは、異常とまでいえる健脚だとする事からです。
 又、出生地が伊賀の里だけに、幼少期から特殊訓練を受けない限り、並みの人間業で無いとする説。この忍者説の他に、旅の本当の目的は公儀隠密として外様の雄藩、伊達藩の視察で有ったとする説です。
 俳人である特権を利用して、何度も旅行したのは蜜命を帯びて、旅先の藩の動静を探る為だったと言うのです。
芭蕉は大坂で病死とされていますが、毒キノコを食べて死んだとか、毒殺されたとか言う珍説もあり、その時の症状が弟子達の記録から呼吸中枢麻痺の様に書かれていることからの推理ですが、ある筋から、芭蕉はそれと分らぬ様に消されたと言う説です。
 過ってドラマ化された“おくのほそ道”でも、伊賀忍者二人が芭蕉と曾良に成りすまし、公儀隠密活動を展開したとあります。
この様に諸説があることは、出身地伊賀の出であることと、その一生に不明な部分が多くある事から、今も尚、この説は解消されていないと・・・

何でも見て・聞いて・語ろう・・・「相模原施設殺人事件」

“時代が人間の心を作る”

昭和20年8月、敗戦によってマッカーサーが持ち込んだ「3S運動」。これを歓迎した左翼系の思想家は、日教組を中心に日本人の精神教育を歪めてしまった。
三度の食事も儘ならぬ国民生活の中で、少年達はジープに乗ってキャンデーやチュインガムを与えるヤンキーの姿には、つい数ヶ月前まで無差別爆撃を夜毎繰り返した「ケトウ」とは、到底想像もつかない優しい異国人に思えた。

 確かに欧米の援助で日本の経済は復興した。然し失われたものも大きい。
今、諸々の事件を起こしている若い人は、戦後の3世代にあたる若者に多く見られる。
この三世代の70年間に、親も子も日本人の全てが江戸時代から培われてきた「躾」と云うものを軽視してきた事は否めない。過と言って自分自身、その見本ではあるが。

阿部内閣が安定しつつある今日、非武装中立国と云う文言がこの世から消えた感が有り、平和である事を望まない国民はいないでしょう。
義務教育問題の見直しに一石を投じたことで改められつつありますが、何と云っても「三つ子の魂百まで」の譬えの様に家庭に於ける幼児教育が基本です、それを担う親や社会環境から改めなければ解決できない事です。

戦後、競争社会の中で育った私達親が、今日死語となりつつある“惻隠の情”を、もっと早く気付いておればと悔やむこの頃ですが、でも決して諦めず、我が子が我が孫が可愛ければ、その担いを学校に任さず、自分自身今日から実行しましょう。
森信三先生の「三つの教え」を!
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