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日本の文化・・・「中元」

“なぜ食品が贈答される”       7月12日

 現在では「中元」は7月初めから15日(盆が月遅れの地方は8月15日)までに、世話になった人へ贈り物をする事を言うが、本来は中国の道教の祭日であった。
 道教では「三元」といって、上元(1月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)には、それぞれ灯篭に火を灯して盛大な夜祭りが営まされた。
 中元は、罪を懺悔する日とされ、終日庭で盛大な火を焚いて神を祭った。 又この日に両親や目上の人へ魚を送る風習があった。 
 一方、仏教では7月15日は盂蘭盆会にあたる。日本ではこの日、先祖霊に色々な供物を供えた。 又新盆の家があれば提灯か燈籠を贈った。 この盆の供物・贈答と中元の贈答とが結びつき、中元が「お中元」と呼ばれて贈物を指す様になった。
 中元の贈答品は、魚が最も古い形であったが、日本では麦の収穫が終わった後の盆の贈物なので素麺・うどんが多く、他には米・米の粉・衣類・履物と広がった。 現在ではデパートや商店が「お中元商戦」と称して贈答品を予めセットにしている事が多いが、盆の供え物との繋がりがあるので、食品が贈られるのが一般的である。

大江戸の共生とは

“江戸の庶民生活に学ぶもの”

7月12日
江戸時代の「しぐさ(思草)」と言う言葉、現代流に言うアクションです。この江戸しぐさの「しぐさ」を、漢字にすれば「思草」と書きます。“思”は思案・思慮・思想の意味で、“草”は行為・アクションの事です、“その言い草は何だ”とか言う時の“草”と同じ使い方です。
つまり「思草」とは、その人が培ってきた考え方や思いが、その場その場で咄嗟に表れる「心構え」そのものです。日頃の心構えは、目つき・表情・物の言い方・身のこなし方などに、恐ろしいほど其の儘出て仕舞うものです。
では、前日まで上述したものに準じて江戸庶民の哲学とも言えるアクションを学習しましょう。

『お付き合い・人間関係』

封建時代といわれる江戸時代。しかし、江戸の町衆たちは見知らぬ人も仏の化身と考え、対等な付き合いを心掛けた。
礼儀正しく、しかもプライバシーを侵さず、良い市民生活が定着していた。江戸の町はルールを守ればとても住みよい町だった。現代にも通じる人間関係の達人たちの知恵から学ぶものは多い。

「人の意見は素直に聞く」/人様がご意見、ご感想をお述べ下さった時には素直に受け、答礼申し上げるのが礼儀です。「江戸しぐさ」では、先ず相手の言う事に素直に従う事が、物事の始まりと考えた。
小さな頃は見様見真似で大人のしぐさを見習う様躾けられた。歳を追って次第に大人の仲間入りができる様になる為には、素直さが必要条件だったと。

日本の文化・・・「朝顔市」   7/11

“朝顔作りは武士の有利な内職”

 東京台東区下谷の真源寺・入谷鬼子母神で7月6日から3日間、朝顔が売られる。
ヨシズ張りの露店三百軒余りが早朝から鬼子母神境内・言問通りに並び、数十万の人で賑わう。
 「朝顔」は日本人には特別に思い入れのある花である。 奈良時代には、朝顔といえば桔梗を指していたが、新輸入の木槿(むくげ)の美しさに人気が集まると、木槿の呼び名に変わった。
更に、奈良時代末期に牽牛子(けんごし)が中国から伝えられ、薬用に栽培されたが、朝に咲く花の美しさが着目されて、朝顔の名は牽牛子に取って代わられた。 今の朝顔である。
 朝顔は、江戸時代に観賞用に改良され、文化・文政期(1804~29)に鉢植えが大流行した。 特に入谷から御徒町にかけてはプロの植木職人の他、花作りマニアの旗本・御家人らが競って朝顔を栽培した。
 この一番の朝顔の苗・鉢植えは、ブランド品で江戸市中で人気が高く高値で売れた。鬼子母神の境内に朝顔市が立ち、大賑わいするのは明治時代になってからである。
現在は下谷には家々が建ち並び、朝顔は江戸川区鹿骨や埼玉県安行ほか、全国各地で栽培された自慢の作が持ち込まれて売られる。 朝顔には数多くの系統と種類があり、色も形も大小も様々ある。生産者は格別の愛着をもって自慢の花を売る。

日本の文化・・・「祇園祭」 その1  7/10

“都の疫病蔓延を一掃する祭り”

 京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭り。 「祇園会」「祇園御霊会」ともいい、過っては陰暦6月7日から14日に掛けて行われた。
 869年(貞観11)に疫病が流行した時、牛頭天王の祟りであるとして、6月7日に諸国の数に合わせて66本の鉾を立てて祭りを行い、14日には大内裏東南の神泉苑で御霊会を営んだ。 これが祇園祭の起源であり、876年に祇園社を創建して牛頭天王(スサノオノミコトに付会)を祭った。
 鉾に対して、山が加わったのは998年(長徳4)である。 南北朝時代以後は財力を蓄えた京都市民が各町から山鉾を出す様になった。
「山」は、四輪車の台上に人形や様々な作り物を立てたり、二階屋台にした物である。
「鉾」は四輪車に二階屋台を組み上げ、屋根の上に様々な鉾を立てている。
 応仁の乱の時中断したが、1500年(明応9)に復活後は町衆の手で祇園祭は執行された。 彼らは金融業などを営む商工業者で、日蓮宗徒が多い。 豊な財力を背景に、南蛮渡来の豪奢なゴブラン織やペルシャ毛氈などの装飾品で山鉾を飾り、これが現在にも伝わる。多くが重要文化財である。

日本の文化・・・「四万六千日」

“一日で四万六千日とは”        7月10日

 7月10日、或いは月遅れの8月10日の観音(観世音菩薩)の縁日。 この日に参詣すると四万六千日間参詣したのと同じ功徳があるとされる。 有名なのは東京の浅草寺だが、鎌倉市の長谷観音や各地の清水寺ほかがある。
 この日は、京都市の清水寺や大阪市の天王寺では千日詣でと言われ、この日一日で千日間お参りしたとされる。 これが本来の形で、浅草寺も元禄期(1688~1703)には千日
詣でといっていたのを享保頃(1716~35)から四万六千日と呼ぶようになった。
 この様に特定の縁日に参詣すると、平日の何倍もの功徳があるとされる日を功徳日とか欲日と言う。 元日は百日、5月18日は四百日、12月19日は四千日などがあり、7月1日を九万九千日と呼び地方も有る。
 これらの数の根拠は、何によったのか分かっていない。 浅草寺の四万六千日では前日9日から鉢植えのほおずきや海ほおずきを商う露店が沢山並び、四万六千日はほおずき市の名でも親しまれ、参詣人は土産にした。
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