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ちょっと一句  (9月7日)


“野辺遠く 空の青さと 赤蜻蛉”  田舎門童
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ちょっと一句 7月 9日

“鬼灯市(ほおずきいち) 夕風のたつ ところかな”  岸田稚魚

“萱草(かんぞう)の 一輪咲きぬ 草の中”   夏目漱石

ちょっと一句 (6月20日)


“青蛙 おのれもペンキ ぬりたてか” 芥川龍之介

日本の文化・・・「米」    6/10

“主食になったのは昭和時代”

米は既に縄文時代後期に作られており、奈良時代からは租税の根幹を成した。
江戸時代には、大名の禄高や武士の給与、農民の年貢など、様々な価値は米に添加された。
その様な経済的指標となり得たのは、米が主食となる作物でありながら、常に生産が需要に追い付かず、希少価値を持っていたからである。
 米は種蒔きから苗代作り・田植え・草取り・鳥追い・刈り取り・稲積み・脱穀と様々な過程と多くの人力、それに天候や雨などの自然の恵みによって初めて実る。その為米作りの大事な節目には色々な儀礼や祭が行われた。
 米作りと、米そのものが日本人の信仰を育んで来た面がある。収穫された米は神に供えられ、神と共食した。 又、米作りは田の水の確保や管理、田植え時の共同作業等により、村社会のルールも形成した。

 日本人が米を主食にしたのは、大きな都市では江戸時代の元禄頃(17世紀末)である。
江戸の大店の丁稚は大したおかず無しで白米を食べていたので、江戸煩い(脚気)に罹った。 然し、農山村も含めて大多数の日本人が米を主食としたのは昭和時代になってからである。 米の生産が需要を上回り、余剰米が出る様になったのは1960年代後半である。 

日本の文化・・・「御田植え祭り」     6/9

“豊作を願う田の祭り”

 単に「御田」「御田植え」又は、「御田植え神事」とも言う。稲作で最も大事な作業が田植えと稲刈りである。 特に田植えは大量の労働力が集中的に必要な作業であり、過っては村の共同作業として4~5戸から十数戸が一組になって、順次各戸の田植えをした。
 稲の実りの豊凶は暮らしの根幹を左右するもので、田植えは単なる農作業ではなく、神事でもあって、豊作を祈って御田植え祭が行われた。
 御田植え祭りは大きく二つに分かれる。 一つは、一月か二月頃に豊作を予祝いして神事として行うもので、秋田県鹿角市の大日堂舞楽(1月2日)岩手県平泉町の毛越寺の延年の舞(1月20日・5月5日)などの田楽や、東京板橋区の徳丸田遊び(今は2月11日)・赤塚田遊び(2月13日元は旧正月)、又は青森県のえんぶり等、全国各地に見られる。
もう一つは、田植えの時期に神田に田植えをする神事で、伊勢神宮・香取神宮・住吉大社など、多くの神事で行われる。
 この時にも田楽や田遊びの様に田植えの所作を芸能化して行う所があり、大田植えとか囃し田・花田植えと呼ばれている。
 広島県北広島町(旧千代田町)の壬生の花田植え(6月第1日曜日)は囃子を伴う田植え行事として名高く、国指定重要無形文化財に指定されている。
 赤いマワシと、造花で飾られた十数頭の黒牛が神田を代掻きした後、三拝(田植えの音頭取り)が田の神迎えの祝詞を述べる。そして囃し方・早乙女も田に入って、音頭取り(リーダー)は、田植えの神事に通じている上に、農作業にも熟達している。 作業の進み具合にあわせて、数百もある田植え歌の文句を選んで歌い、夕刻が迫れば歌うテンポを早くする等自在だった。
 田植えが終わると早苗餐といって田の神を送る祭りをし、慰労の宴を開く。 田植えは半夏生(7月2日頃)のころまでに終える様にした。 この後、刈り取り・稲積み・脱穀まで稲作には沢山の行事が伴う。
 こうした農作業は現在機械化が進んで、村人の共同作業ではなく、家単位で行われる様になって来ている。その為稲作行事も随分簡略化されたり、又御田植え祭りそのものも伝承が困難になっている。
 そうはいっても、一軒だけで自動田植え機で田植えをする時でも、豊作を祈願してささやかな祭事が行われる事は変わらない。
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